自分が住んでいても、地名の由来を知らないというのはよくある話。字面からなんとなく予想できるところもありますが、そういえば江古田の由来って何なのでしょうか。ということで、「知りたい!江古田ってどんな街?」の記念すべき初回は、地名にフォーカスを当ててみました。
江古田の読み方は「えこだ」と「えごた」の二種類がある
西武池袋線江古田駅は練馬区にありますが、実は江古田という地名がつくのは中野区。読み方も異なります。練馬区では「えこだ」と読むのが一般的ですが、中野区では正式名称として「えごた」と読みます。
そういえば、都営大江戸線の駅は「新江古田(しんえごた)」ですね。これは、中野区の読み方に合わせたそうです。
練馬区にある銀行や信用金庫の支店名は西武池袋線の「えこだ」駅に合わせて「えこだ」支店となっているので注意が必要です。
練馬区と中野区の「江古田」をめぐる論争もあると聞いていますが、そのあたりままたいずれ。
さて、この記事では江古田の名前の由来について調べてみました。
諸説あってはっきりしていないのが実状ですが、いくつか見ていきますね。
諸説1:エゴノキの近くに田があったから江古田になった
5月になると白くて可憐な花を下向きに咲かせるエゴノキ。日本全国の雑木林で多く見られる樹木です。果実を食べると喉と舌を刺激してえぐい(えごい)ことからその名になったそう。
その昔、果実に含まれるサポニンが魚毒性であることから、地方によっては実をつぶして川に流し、浮いてきた魚を獲るといった魚の捕獲に使っていました。
このエゴノキを川端に植えて群生させていて、その近くに田があったことが、江古田の名前の由来になったという説があり、これが一番有力な説な模様。
ちなみに、エゴノキはいま、江古田の森公園(中野区)で見られます。
諸説2:江(中新井川)のそばに古田があったので「江古田」になった
数十年前まで、練馬区中村南一丁目付近にあった溜池を水源とし、中野区江古田で妙正寺川に合流する約3kmの川がありました。それが中新井川です。現在、練馬区内はすべて地下に埋設した暗きょとなっていますが、中野区内ではその姿を見ることができます(中野区では江古田川)。
この中新井川(江)のそばに古田があったことが由来という説です。
なお、「江」とは、海や湖沼の陸地に入り込んでいる地形、あるいは大河のこと。わかりやすい例は中国の揚子江でしょうか。「古田」は、おおよそ江戸時代より前に開発された田畑のことです。
諸説3:アイヌ語の「集落・密集」を意味する「コタン」が由来
アイヌ語とは、かつて北海道や樺太、千島などに居住していたアイヌ民族が使用していた言語です。現在、絶滅危機に瀕している言語で、同様の危機にある日本の8言語のうち唯一最下の「極めて深刻」に分類されています。
アイヌ民族はその後移住し、現在は首都圏を中心に全国各地とロシアに居住しています。そのときに江古田周辺にも移住したのかどうかわわかりませんが、江古田という地名がアイヌ語の「集落・密集」が語源になったという説があります。
なおアイヌ語で「集落・密集」は、「コタン」。
諸説4:えぐれた土地だったたから江古田になった
最後のもう一つ、この土地がえぐれていたことが由来という説もありました。
「えぐれた地(田)」→「えごた」。どこが一体えぐれていたのかはわかっていませんが、同様にえぐれていたことから地名が決められた土地は全国にあるので、確かに可能性はありそうです。
結論:諸説あり特定できず
どの説もそれっぽいんですよね。ただ、これらの諸説を知ってから江古田の街を眺めてみると、なんとなく見え方が変わるかも? 江古田を歩くときは、ぜひ、ふっと思い出してみてくださいね。
『江古田キャンパス不動産』編集部